シンガーソングライター「清水まなぶ」のBlog  LIVE、イベント、番組や講演会情報など満載! enjoy ナガブロ

2015年07月31日

2015 SUMMER

いよいよ明日から8月
夏真っ盛りですね〜
 
各地夏祭りなどのイベントも目白押し
その他にも海や山や旅行など、
そんな夏のお出掛けの予定は立てましたか?
 
自分も様々なイベントなどに声を掛けていただいています。
NEWS→ http://www.manaboom.net/#!news/cb30
是非一緒に2015夏を楽しみましょう〜
 

近いところでは今週末 8月2日(日)
毎月恒例 レストランライブ マンスリーギャザリング です。
 

今回は須坂市の迎賓館地下にある Beer HEARTS で開催 !!
18:30オープン 19:00スタート
詳細→ https://www.facebook.com/events/379044872302096/
はじめての会場 楽しみです〜
 

今回のテーマはズバリ

 「夏休み」
  
夏休みといえば何を思い浮かべますか?
 
海、山、帰省、ラジオ体操、スイカに自由研究など、、
夏休みの思い出や予定、エピソードなど教えて下さい。
 

ライブ中 夏休みにちなんだ曲と共にご紹介します。
(メッセージ受付は1日〆切)
どしどしお寄せ下さい^^
  

また会場は席数に限りがあります。
ご予約がない場合は立ち見になったり
入場出来ない場合もありますのでご了承下さい。

ご予約やメッセージの宛先はこちらまで。
s_mc2012@yahoo.co.jp
 
 
素敵な夏の思い出を増やしましょう〜
 
 
愛と平和を歌う 清水まなぶ
ホームページ→ http://manaboom.net


  


Posted by manaboom at 11:14イベント日常

2015年07月31日

今夜もいつもの場所で

今日も暑い中にも取材に収録、リハーサルと充実した一日でした^^
 

そして夜はリニューアルオープンを迎える
Cloud nine のレセプションパーティに寄ってきました!

今までよりも倍ほどの広さになり席数も増えました〜
遅くなってしまいゆっくり出来なかったけど、、
「おめでとう〜!!」


明日から通常営業です。
長野駅からも近い 二千路通り
マナブンカード協力店でもあるので
是非みなさんお立ち寄り下さい!

さぁこの後は情報番組「素敵にコンシェルジュ」
どんな情報が飛び出すか?
お楽しみに〜


愛と平和を歌う シンガーソングライター
清水まなぶ→ http://manaboom.net  


Posted by manaboom at 01:02メディア日常

2015年07月28日

14歳の志願兵

回想プロジェクトの活動を新聞で見て 
連絡いただいた 丸山さん84歳
福祉施設の施設長をなさっているということで
仕事場の安曇野へおじゃましました。


自分たちが一番若い兵隊じゃなかったか?
生きているうちにどうしてもその戦争を語っておきたかったと。
 

日中戦争が勃発した昭和12年(1937年)七貴村
(現在の安曇野市明科七貴、池田町中鵜にあった村)
七貴小学校に入学。
徹底した軍国教育を受け、皆「神国日本は必ず勝つ」と信じていた。
 
10人兄妹の9番目
農家ではあったけど供出があったので食べ物には苦労した。
昼食にはさつまいも一本持っていっただけ。  


太平洋戦争が始って2年目の昭和17年から
志願兵の年齢が15歳から14歳に下がっていたので、
昭和19年の10月初め、七貴村国民学校の22人が
大町の国民学校で志願兵試験(学科試験と身体検査)を受け
自分と友人小林の2人が合格。
12月の誕生日が過ぎ14歳となった昭和20年の正月
役場の職員から採用通知をもらう。


名誉なこと
飛び上がるほど嬉しかった!

そして14歳3ヶ月横須賀海軍通信学校へ入校。
海軍へ出征する日は親戚、隣組の人たちが激励会を開いてくれ
当時は配給のため貴重なお酒をはじめていただいた。

荻原神社で大勢の激励を受け必勝祈願をすると共に挨拶、
万歳三唱を受けて七貴国民学校へ。
そこでまた大激励をされて全校生徒約620人が日の丸の小旗で
明科駅まで見送ってくれました。

いざ入隊してみると一番若い14歳の自分たちは
体格や体力の違いで苦労する。
19歳と14歳では力も違い 足手まといになり
指揮棒?バットのようなもので頭やお尻を凄い勢いで殴られる。
 
一度合図を聞き漏らし
洗濯したふんどしを干しっぱなしにしてしまったときは
みんなの前に出され腕立て40回
それだけかと思えば四つん這いにさせられ
ふんどしを口にくわえさられ歩かされた。

班長の前では無駄口や笑う事さえ出来なかった。
どれだけ疲れていようが10秒も返事が遅れると
また「両足を広げ手を挙げろ 歯を食いしばれ」
という声とともにホームランを打つかのような力で
思いっきり後ろから 腿からお尻の辺りを叩かれる。
「痛い」と口にするようなものならもう一度。
ただただ耐えるしかなかった。
また20人くらいの班の仲間同士でもケンカになったこともあった。

主食は大麦
食べ物さえ十分ではなかった。
 
通信学校では甲板掃除 手旗信号 モールス信号など教えられるが
攻撃も激しくなり送信技術習得まではいかなかった。
 
毎日空襲。
機銃掃射も何度も受けた。
ものすごい音で、とっさに班長がこんな事では「負けるかもしれないな」
と口にした。直ぐに冗談と言い返したが本音だったと思う。
皆口には出来ないが頭の片隅にはあったと思う。と。

何人かは撃たれて亡くなった。


特攻隊志願者は一歩前に出ろ!!との声には
自分は一歩前に出た。
 
しかし出なかった人は
「貴様!命が惜しいのか」など
ひどく責められていた。

志願といっても半ば強制
絶対服従の世界をみた。
 

昭和20年7月に入り いよいよ本土決戦でアメリカ兵が上陸してきたら
爆弾を持って体当たりすると、私たちは全員 玉砕覚悟していた。
 
君が代は歌わなかったが
海行かば を毎日 朝夕歌わされた。


8月15日 お寺の庭に集まれという号令で
玉音放送を聞く。

自分たちのまわりは喜んでいた。

しかし翌日 班長、将校たちは狂ったようになっていた。


終戦になってもB29が一週間くらい朝から夜までずっと飛んでいた。
 
まもなく復員 手続きを取って帰るとき
中隊長が150名くらい集めて訓示を述べた。
「負けたけれども また何が起きるかわからないから
 自宅で待機しろ!何かあったときはこの軍旗の下に集まれ!」と。
 

三浦半島を通行中ビックリしたのは
もうアメリカの戦車が3台も置かれていたこと。
 
無事家に帰って仏壇に線香をあげ感謝の祈りを込めたのは
8月26日の母親の命日だった。

14歳の夏。



「日本全国でも最年少の兵士だったんじゃないかな?」と丸山さん。


そこから学んだ事、伝えたい事は?

「戦争ほど悲惨なものはなく
 愚の骨頂だ!」

「今いろいろ言われている憲法の問題
 私は憲法九条の精神は貫いていかなければいけないと思います」

経験されている方の思い、気持ちです。
当時は自由さえなかったから。

全人類がこの九条の精神を持てれば。
武力を使わずお互い話し合いで折り合いがつけばいいんだけど、、、
 
「日中戦争から始るこの大戦
 時の首脳部は一ヶ月くらいで終わらせると思っていたのだろうが
 アメリカやイギリスがバックにいたこともあり長引く一方。
 結局 解決出来ずアメリカ、イギリスを相手に大東亜戦争に突入していった。
 海軍は戦争に反対していたのに。」
 
早めに終わらせておかなければならなかった。

「戦争だけは絶対やっちゃいけない
 あれほど残酷で悲惨なものはない」
 もし核戦争でもはじまったら人類が滅亡するだろう。」
最後にもお言葉いただきました。


そう昔の楽しい思い出の一つ プールはないから高瀬川や犀川で泳いだこと。
そして懐かしい神社 生まれ育った荻原地区の秋祭りの船
今でも受け継がれているようです。


これは一度見てみたい!


しかし教育とはいえ軍隊時代の辛い事をどうやって耐えられたのだろう?

そんな問に、丸山さんは
 
「故郷や家族が心の支えだった」とのこと。


自分にも温かい応援の言葉もいただきました。
長い時間ありがとうございました!
お元気で。


愛と平和を歌う シンガーソングライター
清水まなぶ→ http://manaboom.net

回想プロジェクト
https://www.facebook.com/kaisou1945




  


Posted by manaboom at 21:21地域聞き取り

2015年07月25日

15歳の夏

今日はいつもの講演会とは少し違ったところw
100名ちかい先生たちの前で歌わせていただいきました。

ご縁をいただいたみなさん
ありがとうございました!!
 

学校の先生って親の次に子ども達と近い所にいる大人なので
影響力は大きいのかもしれないですね。
その分 重責を担ってしまうかもしれないけど
理想と現実をどちらも伝えながら
子ども達の可能性を伸ばしていってほしいなって
勝手に思ってしまいます〜 
 

その後 映画試写でしたが、
これから公開になる 「ソ満国境15歳の夏」

ご存知ですか?
 

第二次大戦末期 ソ連と満州の国境近くに送られ
ソ連侵攻で命がけの逃避行を強いられた中学生を描いたもので、
当時の中学生の道のりを
福島原発事故で避難生活を送る現代の15歳が取材するという物語。
 
とても大事な事が詰っていて
多くの人に見てもらい考えてもらいたい作品でした。
 
ただの過去の話というのではなく
現在進行形の福島の様子が垣間見られることも
とても重要な意味を持っているように感じました。
 
当時満州で起こっていた事
300キロの道のりを必死に生き抜いた
120人の中学生たちの実話ということと、
今の福島の学生の日常や気持ち。
 
そこから見えてくるそれぞれの人間性 官僚の無責任性。
 
原作者で体験者の田原さんのインタビュー記事にこんな言葉がありました。
「戦争についてもっと真剣に考えて欲しい
 私たちの悲惨な体験は、この道しかないと突き進んだ先にあった。
 いくつも選択肢があるいま、きちんと考えることが必要なのではないでしょうか」

本当にそうですよね。
 
誰かの情報を鵜呑みにしたり
みんなが言っているからと流されてしまうことなく
一人一人が本質を見極めて行動していきたいですね。
  

終演後 長野市トイーゴの向かい
しゃれもんはうす を通りかかったところ
大人気という とうもろこしをいただきましたw


さっそく生でいただきます^^
ありがとうございました! 
旬の食材、美味しいもの口に出来る幸せw
感謝です!!
 

愛と平和を歌う 清水まなぶ
ライブイベント情報などはこちら→ http://manaboom.net



  


Posted by manaboom at 19:00映画学校

2015年07月24日

舞台稽古

舞台の稽古も熱が入ってきました〜
気温が高いから稽古場も暑いですw
さすがに出演者全員で合わせる機会は少ないですが
シーン毎 それぞれの稽古は毎日すすんでいます^^
  
自分もたくさんのセリフをいただいているので
いつもの自分のライブとはまた違った緊張感で臨んでいますよw

 
こういう舞台ってセリフを覚えるだけでなく
それぞれの役柄や感情も理解しながらだから
チームワークも大切になってくるね。
 
皆とのやり取り 舞台上の立ち位置や動きなど
かなり細かく決めて いかないと見る人にも伝わらないだろうし、、
 
さぁ あと一ヶ月 皆さんと一緒に創り上げていきたいと思います。 

本番は8月22、23日 小布施ハイウェイオアシス 17時40分開場です
須坂のお殿様の物語 野外劇 〜 Straight Tiger 直虎 〜 
イベントページ→ https://www.facebook.com/events/728395233937268/
是非お越し下さい!!
 


愛と平和を歌う 清水まなぶ
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Posted by manaboom at 17:54イベント日常

2015年07月23日

マツナビ?

関東甲信越は久しぶりの雨でちょっとクールダウン。
草木もホッとしているね。
 
そんな雨音も聞こえる夏の夜
今夜も情報番組「素敵にコンシェルジュ」放送ですよ〜。
 
そう先週の放送もイベント情報やお出かけ情報など
たくさんあったけど、
夏休みといっても受験生にとっては
この休みをどう過ごすか?でかなり差がつきそうだ^^ 

暑いダルいなんて言っていられないなw
あと各学校オープンキャンパスも結構あるから
この機会にチェックしてみるのもいいね。

番組にも来てくれた学生スタッフ「マツナビ」の田中くん
松本大学にはオープンキャンパス案内役「マツナビ」がいて
高校生のみんなを案内してくれるんだって^^
赤いポロシャツが目印!!
8月2日、22日に開催予定です。
気になる方は是非足を運んでみて下さい。

 
さぁ今夜はどんな情報が飛び出すのか?
テレビ信州0:59〜OA お楽しみに〜!!
 


愛と平和を歌う シンガーソングライター
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Posted by manaboom at 21:17メディア日常

2015年07月22日

木曽町

今回は木曽郡木曽町 
2005年に木曽福島町、日義村、開田村、山岳村が合併して誕生した
長野県の西 岐阜県とも隣接する 約12000名ほどが暮らしている町


春原金蔵さん 87歳がお話を聞かせてくださいました。
 

終戦時は17歳
木曽福島町の高等小学校 青年学校を卒業して
役場の水道部で働き出していた。

男6人 女3人兄妹の5番目 
当時 家にいたのは姉1人 母 弟2人
父は病気で亡くなっていたので
自分が働くしかなかった。

兄達は3人兵隊に行っていた。
 
同じ年頃では木曽西校に行っていた連中で
志願兵として行った人はいた。
 

「死ぬ事までは考えなかったな〜
 兵隊に行きたいとみんな思っていた」

でも兄達が出征してしまっていたから
家の百姓をやらなければいけなかった。
 

木曽は軍事工場等 目立った施設がなかった事から
空襲の被害はなかったが、
水無神社の上 関山公園の下に
防空監視哨十三番福島があり そこへ勤務に行った。

松本警察署に直通の電話があって
24時間監視体制で飛来する飛行機の識別、数、行き先を監視し報告していた。

冬の夜は寒く 毛布をかぶりストーブにへばりついて勤務した。

ここに勤務していた人たちも順に
戦争に行かされると 若い人が代わりに入ってくる。
 
 

当時 戦時中の雰囲気は情報が管理されていて
「今の北朝鮮と同じようなものだ」と春原さんは言う。


1番上の兄がミッドウェイに参戦していたにも関わらず運良く帰国。
海軍の戦力がすでに無くなっている事を目の当たりにしていた。
しかしその情報は当時一つも国内に聞こえてこなかった。

2番目の兄はトラック島で 香取型巡洋艦とともに沈没 戦死22歳

3番目の兄は中国から引揚げる途中
カンプキョウ?という辺りで病死 21歳
奈良井の戦友が遺骨を届けてくれた。
 

母は何とも言わなかった。


金属回収令での供出もおこなわれ
役場の前には金属類の山になっていたことを覚えている。



敗戦の日
役場にいて 皆で集まって玉音放送を聞いた。
その頃は役場の水道部の仕事をしていたが、
自分は何故か監視哨に走って向かった。
 

終戦後 進駐軍が来て「監視哨員は連れていかれる」
という噂があったので
資料などは壕に投げ込み土を被せわからないようにして
建物は取り壊した。



戦後 45歳まで役場に勤務し
その後 設備工事会社を設立 
地元の様々な役職や地域貢献をされてきた。
 

そんな春原さんが今の若者に伝えたい事とは?
 
「自分を良く知る
 世の中を知ることが大事。
 就職にしても簡単に仕事を選んで
 簡単に辞めるんでなくて、
 経験を積んで長く一つのことを続けるとか、、」
 
 我慢や忍耐、身の丈を知るということになるかもしれないが
 しっかり見てから物事を判断してほしいと。


今回は木曽町在住の方の戦争体験記を取材し編集している
小松さんにご案内いただきました。
ありがとうございました。

取材後 外まで見送って下さった春原さん
この辺りは戸をしっかり閉めておかないと
猿が入り込んでしまい大変なんだと。。


ホントだ玄関のすぐそばまで猿が下りてきているんですね。
 

この地は人間だけのものではない
自然の中で生かされていますw

この辺りのオススメスポットとして
少し山道を上った所のキビオ展望台も案内いただきました。
御嶽山、乗鞍山、奥穂高岳、前穂高岳が望めます。
 


ありがとうございました
お元気で!!


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Posted by manaboom at 11:58地域聞き取り

2015年07月21日

教育の広場 ながの

暑い日が続いていますが
体調崩していませんか?
 
暑さに負けずw イベント、打ち合わせ、
レコーディングと続いています。

イベントではいろんな方に出逢わせていただいたり
取材をしていただく機会も多かったのですが、 
7月のはじめ 高等学校教職員組合 細尾委員長と
対談をさせていただきました。

自分の活動を知っていただき、
声をかけていただいたのですが
平和のことや教育のこと、
お互いに子ども達に伝えていくことの大切さや難しさなど
お話しさせていただきました。

学校教育現場での中立性を保ちながらってのも
けっこう難しいですね。
先生方もいろいろな苦労があるようですが、 
でもやっぱり過去の様々な出来事を知り、学び、
自らの判断基準を育む事が大切なのは変わらない^^
  
実際に太平洋戦争を体験している方から
直接話を聞けるのも今しかない。
そして今の学生達が直接聞ける最後の世代。

当時、教育が違っていたからとはいえ
高校生くらいの年齢で国の為に 母の為に
敵艦に突っ込んでいった人たちの思いはどうだったのか?
 
体験者からのメッセージをたくさん聞いて
今後に活かしていってほしいですね。
 
選挙権年齢も18歳に引き下げになれば
自分たちの判断が国の方向を決める事になるかもしれないんだし。

 
今回の対談は9月発行予定の
「教育の広場」で紹介していただきます。
 
ありがとうございました!!
 

未来を担う子ども達のために、
自分の活動がお役に立てれば幸いです。
回想プロジェクト→ http://artemisplaces.wix.com/kaisou 

 
愛と平和を歌う シンガーソングライター
清水まなぶ→ http://manaboom.net
 

 




  


Posted by manaboom at 16:50日常

2015年07月20日

平和音楽祭

昨日はホクト文化ホールでの
第35回 グローバルピース
長野平和音楽祭に参加してきました!
  
たくさんの方と音を通じて
出逢えた事、平和について考えられたこと
嬉しく思います。
 
一階席二階席もいっぱいに
ご来場いただいたみなさん
ありがとうございました!
 
普段あまりご一緒する機会のないw
合唱や琴 尺八に管弦楽のみなさんとも
同じステージでメッセージを共有出来た事にも感謝。

チェンバロの響きも素晴らしかった^^
様々なジャンルの生演奏
どれも心を豊かにしてくれますね。
 
グローバルピース 長野平和音楽祭
200名を越える出演者の集合写真はまた後日w
 
 
次回の公開イベントとしては
8月2日 須坂市でのマンスリーギャザリングです。
詳細→ https://www.facebook.com/events/379044872302096/
是非お越し下さい^^
 

暑い日が続きますが夏バテしないように〜
笑顔で会いましょう〜!!
LOVE & PEACE  


お花なども たくさんありがとうございました!


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Posted by manaboom at 11:43音楽イベント

2015年07月19日

平和の和

昨日もありがとうございました〜
 
信濃町総合会館 大ホール
地元の方のみならず 町内外から
会場一杯にお集りいただきました^^
 
町長の挨拶にはじまり
元全国町村議会議長会会長 中沢さんの体験談や
小林一茶の菩提寺 月原副住職のお話など
たくさんの方と石の鐘のメッセージを共有できたことに感謝です!

 
また「石の鐘の物語」を出版された 和田登先生
石の鐘 称名寺の 佐々木五七子住職とも
ステージでトークをさせていただきました。

和田先生の突然の歌にもビックリ(笑)しましたが、
 
あらためてお二人の言葉をいただき
この平和のありがたさと
学ぶ事の大切さを感じる時間でした。
 
 
石の鐘を守り続けた 佐々木住職から最後に一言

「一日一日はいただきもの
 地球は一つ
 みんなそこに住まわしていただいている。
 私たち。
 
 だから みんなを思いやって 平和の 和

 和をもって貴しとなす。」


これ聖徳太子が制定した憲法に出てくる言葉でしたよね?
何事をするにもみんな仲良く いさかいを起こさないのがよい、


「その心を忘れないように
 みなさんお伝え下さい。

 どうぞよろしく。」

という言葉で締めていただきました。


ありがとうございました!

大切なのは「心だよ」
といつも教えて下さいます。
 
お互いを尊重する
みんながそんな心を持てれば
争いも無くなるだろうに、、、^^;
 

 
また新曲もみなさん真剣に聞いていただきありがとうございます。
来月にはCDとして聞いていただける予定です。
 
また詳細は決まり次第ご案内しますので
よろしくお願いします^^ 
 


さぁ本日は長野市 ホクト文化ホールでの
平和音楽祭に参加します。


35回目となる このコンサートは14時から
邦楽に合唱、弦楽アンサンブル、日本舞踊など
様々なジャンルの出演者が平和をテーマにステージに立ちます。
お時間ありましたらお立ち寄り下さい。

会場でお待ちしています〜!!
 
LOVE & PEACE


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Posted by manaboom at 09:42音楽イベント

2015年07月18日

聴こう!石の鐘のメッセージ

収録、取材にリハそして打ち合わせや舞台の稽古
レコーディングと何かと日々 目一杯フル活動させてもらっています。
なかなか体験者の取材模様もブログ等アップ出来ずすみません、、、
 
 
さて今日18日は17時から 信濃町総合会館で
「聴こう!石の鐘のメッセージ」に参加します。
イベントページ↓
https://www.facebook.com/events/808318862600670/
 

石の鐘?
 
石って音する??
 
そんな声も聞こえてきそうですがw
昭和16年に公布された国家総動員法にもとづく金属回収令によって

生活の中にあるあらゆる金属類は根こそぎ回収されました。

お寺の梵鐘さえも供出させられた。


その時に鐘のかわりに吊された石

それが今でも当時のまま下げられたお寺があります。
 

その石の鐘にまつわる話などお聞きします。
また以前から制作していた石の鐘の歌も初披露させていただきます^^
 
お時間あれば是非 お立ち寄り下さい!!


愛と平和を歌う シンガーソングライター
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Posted by manaboom at 09:52音楽地域イベント日常

2015年07月16日

戦後70年 日本の未来は?

安保法案 強行採決!!
 
これがニッポンの分岐点となるのか?

国会周辺や全国各地で抗議の声が上がっている。
今 自分たちは歴史的瞬間に立ち会っているかもしれない。

しかし そんなこと知っても知らなくても
時は過ぎてゆく。
どんな声を上げようが
この流れは止まらないのか?


どちらの提案も日本という国の平和を守るためなのに
その手段や方向がわかれる。
でもこれだけ反対の声が上がるというのは
まだまだ説明や議論が十分でないのはわかる。
 
いろんな論点があるけど
そもそも違憲かどうか?
 
まずそこをはっきりさせないと進めないような、、、
 

そしてこの混乱の中、
原子力規制委員会が四国電力伊方原発3号機の再稼動を認可。
 
まだ福島原発事故へのケジメも説明も終わっていないのに、、、
 
ニッポン 大丈夫か?
子ども達にどう伝えていく?
  

こんなときこそ過去に学ぶのは大切。
60年代の安保闘争もこんな感じだったのだろうか?
もっと遡って戦前はこんな雰囲気だったのだろうか?
国の権力圧で流れ込む ヒト、モノ、カネ
その後はどうなったのか?
戦時中 貧しい戦後を生き抜き
今の平和を築き上げてきた方たちはどう思っているのか?

  
そして全ての物事の本質は何処にあるのか?
そこをしっかり見抜くことも大事だね。
 

どうしたら平和な暮らしを守れるのか?
武力での抑止力は意味を持たないということは
911のテロでもわかっていること。

日本に50以上ある原発が狙われたら、、、
ゾッとする。


しかし10万人が国会議事堂前で反対の声を上げても何も変わらない。

それが現実、、、
 
声を届けるのは選挙の時しかない
そして選んだ人が実際何をしてくれているか見続けるしかない。
そしてもっと関心をもって選挙に参加していかなければいけない。

 
でも数ヶ月経てば ほとんどの人は忘れるんだろう。。。
そして何事もなかったかのように時が流れる。
この強行採決も。
だから また繰り返される。
 

過去から学ぶということは
簡単なようで なかなか難しいのかもしれない。
目の前の事に追われ それどころではないのかもしれない、、
 

しかし忘れない、あきらめない、そして伝え続ける。
いつまでも故郷に笑顔が溢れるために。
そんな事を最近強く感じています。
 

ちょうど今日の18時10分からのNHK長野
イブニング信州で日々の活動を紹介していただきます。
自分もどう編集されているかは確認していませんが
ここ1、2ヶ月 何日も活動に同行いただきました。
 
 
戦争体験をどう伝えるのか?
二度と戦争を起こさない為にはどうすればいいのか?

聞き取り、語り継ぎ活動「回想プロジェクト」→ http://artemisplaces.wix.com/kaisou
   
是非ご覧下さい。 




そして深夜0:59〜は情報番組「素敵にコンシェルジュ」
テレビ信州でOA お楽しみに〜
 

愛と平和を歌う シンガーソングライター
清水まなぶ→ http://manaboom.net






  


Posted by manaboom at 18:05日常

2015年07月13日

いのちより大切なもの

木曽で「星野富弘」さんの花の詩画展があるということで
立ち寄ってみました。


たぶん20年くらい前から見たり読んだりしていましたが
年齢や経験によっても作品からの感じ方が違ってきますね^^

ご存知でしたか?
 「星野富弘」さん

 
群馬県出身の方で
大学卒業後、中学の教諭になるんですが
先生になってすぐにクラブ活動の指導中に大けがをして
首から下の運動機能を失ってしまった。

それから9年にも及ぶ入院生活を送るんですが
入院中に口に筆をくわえて文や絵を書きはじめ
作品展を開くまでに。
 
今でも作品を生み続けています。


でも それまでには まさに血の滲む努力や
心の葛藤があったと。


 
そんな作品 絵に沿った詩
これが心に響きます。
 


例えば ぺんぺん草 という作品

「神様がたった一度だけ
 この腕を動かして下さるとしたら
 母の肩をたたかせてもらおう

 風に揺れる ぺんぺん草の実を見ていたら
 そんな日が本当に来るような気がした。」


そんな母にも入院時 罵声を浴びせてしまったことがあったと、、、



そして くちなし という作品

「鏡に映る 顔を見ながら思った
 もう 悪口を言うのはやめよう

 私の口から出たことばを
 いちばん近くで聞くのは私の耳なのだから」


昨今 いじめや差別、子ども自殺などのニュースが頻繁に流れます。
大人の背中を見て育った子どもだからなのか?
親や回りが大切な事 教えてないからなのか?
いつの時代もいじめや陰口はなくならないものなのか?
 
星野さんはこんなことも書いています。
もう一生首から下を動かすことは出来ないとわかったときに
「俺はもう生きている価値がない」と思いました。
夜は「次の朝には死んでいたらいいのに」と。
 
でも朝が来て看護婦さんが脈や血圧をはかる。
腹が減って食事を食べてしまう。
その時「いのちというものは、俺とは別にあって
    俺がいくら生きる事をあきらめても
    いのちは一生懸命生きようとしているのだ」
 
「自分は今 やさしくて大きなものに生かされているんだ、
 死にたいなんて いのちに申し訳ない」と思ったと。

 
自然の中で生かされている事
すべては巡り巡って
そのまま自分に返ってくるということ。

「冬があり 夏があり 昼と夜があり
 晴れた日と 雨の日があって ひとつの花が咲くように
 悲しみも苦しみもあって 私が私になってゆく」
 

命より大切なものってあるのかな?

そんなことをあらためて考えさせられます。


うん うん 頷くもの
胸にす〜っと落ちてくるもの
たくさんの作品が展示されていますので
都合がつく方は是非^^
7月20日まで 木曽文化公園文化ホールです。
 
良い事も悪い事も
いろんなことがあって人生
生きていく上でのヒントになる事間違いなし^^
  

愛と平和を歌う
清水まなぶ→ http://manaboom.net


  


Posted by manaboom at 10:59地域イベント日常

2015年07月12日

豊丘村

今回伺ったのは長野県南部 下伊那郡の豊丘村
昭和30年に神稲村と河野村が合併して出来た
およそ6600人ほどが暮らす村。


農作業の忙しい中 お話を聞かせてくれたのは
胡桃沢さん 77歳
 
終戦当時はまだ小学一年生
自ら戦争や開拓に行ったという経験はないが
戦後の厳しい生活は今でも忘れられない。


戦前は裕福な家庭でした。
土地や畑も多く、父も村長を務めるほど。 
戦時中 ラジオも家にすでにあり
終戦の日は近所の人が皆 家に集まってきました。

玉音放送を聞き 涙する人が多かったと。
自分はまだ子どもで 何のことかピンときていなかった。

しかしそこからが苦労のはじまりだった。


ずるさがない父は収穫物は供出して
自分は食べられなくなり
栄養失調にもなってしまった。
 

そして村から送り出した開拓団が待てど帰ってこない。
 
実は満州で集団自決していたのだ。
その河野村開拓団のことを聞き
村長だった父は責任を感じていた。
 
後で見つかる日記や遺書から心模様がわかったようですが
村長として皆を送り出してしまったという責任から
昭和21年7月 自宅で自決。
 

着物姿の横たわった遺体を見た時
2つ上の姉が母に言った
「おかあちゃん しっかりしてね」と。
 
 
「母親はな 愚痴も 悪口もいわなかった」

決して人の悪口など言わなかった母 
そんな母が晩年姉に口にしたこと、
実は父は家族一家で心中しようとしていたんだと。
それを母は拒んだということ。
 
なので私財はすべて村の人に分けるという遺書まで。


父も地域を豊かにする為と思い戦前戦中と
軍国主義や国の方針にしたがっていったんではないかと、、、
 
胡桃沢さんは言う

今の原発事故と似ている
責任を誰がどう取ったか??
 
父が責任を取った事が
悲しい一面と、責任を取りホッとするの両方の思いがある。


その後は長男として家を守らなければいけないので
小学生の頃から農業をしながらの生活
食糧難で大変だった。

この辺りの名産 桃は昭和25年ころから始めたと。


今の若者に伝えたい事は
「政治に無関心では、いつかそれが自分に返ってくる。
 後でこんなはずじゃなかったといってもはじまらない。
 しっかり関心をもって学んでほしい」と。

豊丘村は桃や梨、市田柿などの果樹を中心とした農業が盛んです。
 

今日から交流センターだいち で桃祭りが開催され
桃狩りなどは村の人口以上の人が訪れ賑わうそうです。
 
秋には松茸も大量に収穫されるとか、、、w
 
 
今年は一週間ほど桃の収穫も早いようですが、
美味しい桃のお土産もいただきました。
またおじゃまします
ありがとうございました!!
 
 
愛と平和を歌う
清水まなぶ→ http://manaboom.net


  


Posted by manaboom at 18:50地域聞き取り

2015年07月09日

ふるさとのお話

先日 長野市内の飲食店で
店長が中学生の頃 学校で作った創作民話が
15年の時を経て本になったと聞いた。

それがこちら
「百年後に残したい ふるさとのお話し」
 

地元に残っている伝承をもとに
取材を繰り返し資料を探し、
多くの情報を集め総合学習の時間に
生徒達で民話をつくったとのこと。

地域の事、地元の事を知る
良いキッカケだね〜
 
それを今回 当時の担任の先生が
15年越しの約束を果たしたと。
 
そんな先生の情熱も生徒達にはきっと伝わりますね^^
  

その当時 民話を作るのに注意した事は?
「会話をたくさん入れる、事実をまげない」
ということだったと。


自分も小学生の頃 地域の事を調べる
そんな授業もやったような気がしますが
発表だけで物語にはしなかったな〜w
 

早速 読ませていただきました。
ここに書かれた6つのお語
地域名や場所が細かく出てくるので
想像し易いし入り込んでしまう^^
 
また善光寺白馬電鉄 「善白鉄道」が7年間走っていたこと。
戦争の影響で営業を停止させられたこと。
その後ダム建設のためのルートが水没してしまったこと。
など地元の歴史も学べる^^
 
山王小学校の校庭の盛土
気になっていたけど駅の跡だとか??
へぇ〜
 
  
是非 読んでみて下さい。
各書店または
当時作った本人がいるw「Pizza & Wine  SCIROCCO」にもありました^^
 

この中学生が取材調査をして作ったふるさとのお話
この先も地元できっと語り継がれてゆくでしょう。



さて今夜は「素敵にコンシェルジュ」
どんな情報が飛び出すか?!
こちらもお楽しみに〜
0:59〜 テレビ信州 です^^


愛と平和を歌う シンガーソングライター
清水まなぶ→ http://manaboom.net


  


Posted by manaboom at 10:46地域メディア日常

2015年07月07日

七夕伝説

梅雨らしい空模様が続いていますね〜
七夕の今日 天の川は見られるのか?w
 

天候に関係なく いろんなところへ自らも取材に行かせてもらいますが
逆にTV・ラジオ・新聞などから いろんな取材もしていただきます。
 
自分の活動や、思いが伝えられるのは嬉しいですね^^
ありがとうございます。
 
そこで出逢ったり記事を見てくれた人が
何かを考えるキッカケになってくれたらと思っています。
 
 
また自分も今まで知らなかった媒体もあったりで
こちらも学ばせてもらっています。

 
そう、しなの鉄道の車内モニターにも
今「清水まなぶ」ピックアップいただいています^^
自分もまだデータでしか見れていませんが、
もし乗車の祭には ちょっと気にしてみて下さい。
 

さて もう2015年も折り返し7月
今日は七夕です。
 
短冊への願い事は?
 

健康? 縁結び? 合格? 商売繁盛?
そもそも習い事、芸事の上達祈願から始っているとか?
いやいや景気回復? 世界平和? 自分のこと? 他人のこと?
  
天の川のように みんなの願いがキラキラ輝きますように。
 
 
統計では7月7日 晴れる確率は約26%(東京)とか、、、
 
今日落ちてくる雨は催涙雨
七夕伝説 彦星と織姫が一年ぶりに会えたうれし涙だな^^
   
 
夢溢れる素敵な一日を〜 


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Posted by manaboom at 10:57行事日常

2015年07月06日

学園祭

先週末は各地 高校の学園祭も多かったですね^^
 
自分も阿智高校に声を掛けていただき
学園祭楝祭 特別講演に行ってきました。


今回はいつもの学校講演のように
先生やPTAの皆さんが先導するというより
生徒会が主体となって段取りエスコートしてくれました^^
 
学園祭、学生の手作りイベント
とても微笑ましく、そして懐かしぃ〜感じ。
 
それぞれが楽しみながらも
大切なことを学んでいくね。
 
  
そして開会式後の1時間近い講演も
最後は最前列に生徒が押し寄せ
ライブ会場並みの盛り上がりに!! 
 

そのパワーって大切だよね
大人になっていくと忘れていってしまう?こと^^; 
    
卒業後 進学する人、働きだす人、何処を目指しても
情熱を持って素敵な夢を〜
 
これから歩む自分の道に迷った時
この日のこと、平和のこと 夢のこと
少しでも思い出してくれたら嬉しいです^^
 
校長先生はじめ生徒会のみなさん
そして全校生徒のみんな ありがとう〜

また会いましょう〜


生徒会長 学園祭実行委員のみんなと一枚
LOVE & PEACE ^^


何社も入ってくれた取材へのご協力も
ありがとうございました。
放送日はまたわかり次第 お知らせします。


愛と平和を歌う シンガーソングライター
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Posted by manaboom at 10:40音楽学校

2015年07月04日

キャンドルナイトコンサート

キャンドルナイトコンサートに集まっていただいた皆さん
ありがとうございました〜

曇り空で星や月は見えませんでしたが
雨もなくキャンドルの優しい揺らぎの中
たくさんの人たちと一緒に歌えた事に感謝です。

地球環境や温暖化を考えるキッカケとして
全国各地で行われているキャンドルナイト。
他では参加したことはありましたが
長野駅前でのコンサート参加は初めて(^^)
太陽光発電による電気を使用してのステージというのもオリジナリティーがあって楽しかったです。

しかし、、、

後半はバッテリー切れというオチが(笑)
まさにエコなステージでした。


今日は南信 学園祭での講演会です。
どんな笑顔に出逢えるか?
楽しみです(^^)
皆さんも素敵な週末を〜



愛と平和を歌う 清水まなぶ
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Posted by manaboom at 10:40音楽イベント

2015年07月02日

半夏生

夏至も過ぎ 少しずつ日が短くなっていますが
夏至から11日目は半夏生
田植えを終わらせるめ目安にもなっていたようですね^^
 
そして 地方によって様々ですが
この日にサバやうどん、タコを食べる習慣があるようです。
 
みなさんは何か口にしましたか??w
 
そう先週番組でも紹介した凌駕の「煮干し醤油ラーメン」


やみつきになりそうですw
 
長野県内サークルKで販売中!!
みなさんも お試し下さい〜〜
 


さて今夜は情報番組「素敵にコンシェルジュ」

グルメやファッション、映画にイベントと情報満載でお届けします。
テレビ信州 0:59〜 
 

お楽しみに〜

 
そしてイベントといえば明日3日はJR長野駅前での
キャンドルナイトコンサートに参加します。
 
4組ほど参加しますが
自分は19時40分頃の出演です。

是非週末のお仕事帰り
長野駅前(善光寺口)にお立ち寄り下さい!!


愛と平和を歌う シンガーソングライター
清水まなぶ→ http://manaboom.net


  


Posted by manaboom at 22:27メディアイベント日常

2015年07月01日

北信州 栄村

長野県の最北部 新潟県との県境
日本有数の豪雪地帯 
現在2000名ほどが暮らす栄村におじゃましました。
 
冬季 どのくらい雪が多いかというと
この村の森宮野原駅では
1945年2月12日に7m85㎝の豪雪を記録しています。


その昔は雪が多すぎて2階から出入りしていたようです。
 
雪かきも大変な生活の一部、、、
ただ家の周りは雪を溶かすように用水や池などあり工夫されていました。
 

そんな村で小学校2年の時に終戦を迎えた広瀬さんと
終戦時17歳  高橋 元村長にお話をうかがいました。
 
 
 
実は戦前戦中 村内では森林開発や発電所建設工事が多くあり
経済的には活気があったとのこと。
(飯山の西大滝ダムは最大出力16万キロワットと
 当時は東洋一の発電をしていたようです。)
 
今でも山手線を動かす電気はここからいっているとか??
 
 
ということで当時は全国から人が集まり
子どももいっぱいで小学校の教室も足りないほど、
増築増築、1クラス60名なんてことも。
 
 

しかし農家は食べるものの苦労はあったと。
農地解放前は供出の他に小作米も納めていたので
大変だったと 広瀬さん。


まだ当時幼いながらに いろんなことを覚えていて語って下さいました。

父へ召集令状 赤紙がきた時
母は御盆をもって受取りに。

役場の人の「おめでとうございます」
という言葉に違和感を感じていた。


家族、親戚が出征するときは皆で万歳 !!  
家で祝った。
 
送り出す会でのエピソードで覚えているのは
校長先生と一緒にやってきた義勇兵

鼻水を すすっていている少年に
「ともいち 鼻拭け」

と校長先生が手ぬぐいを渡されていた。
 
まだ鼻水をたらすくらいの14、5歳の少年が兵隊に? と振り返る。


しかし自身も小学校で予科練の人を見たとき
制服はカッコ良く憧れた。
 

 
また、長生きした元気な近所の ばあちゃんの思い出。
 
昭和19年冬 雪のある中
当時はまだ若かったその おばあさんが 黒い服を着て
白い布につつまれた木箱を抱いて
村葬の会場に歩いていく姿。
 
今でも鮮明に覚えている。
 
実は 戦争でご主人を亡くしていたのだ。

 
「でもこの辺りは山の中だから
 あまり戦争の実感がなかったが 
 沖縄辺りはひどかったね~」
 

 昭和20年 終戦の日は暑い日だった。
 ラジオを聞き 父親は泣き出した事も覚えている
「戦争に負けた、、、」 と。

 

高橋さんの印象に残っていることは?
 

15、16、17歳の頃
夏5月〜8月は勤労奉仕で北海道まで。

そこで志願して兵隊に行ったものも数名いた。

自分たちの一つ上の年の人たちまでは
志願兵が多かったと。
 

そして荒れ地を開墾するのは学生だった。
今の飯山 菜の花公園のところもススキの原だった。
そこを下高井農林と飯山中学で荒れ地をおこした。


そんな中、常にゲートルを巻いていなければいけないこと、
学校では必ず保安殿に最敬礼しなければいけないこと、
男は人前で女としゃべるなんてダメだ! なんて上級生に怒鳴られたこと、

なんといっても戦時中は英語もダメ
配属将校がいて、教練という科目があり
軍事教育をたたきこまれた。

そこで思い出すことは銃の手入れをしていたら
出るはずじゃない実弾が教室の中で発砲してしまった。。。
 
戦中は年60円の授業料を納めていたようだが
授業らしい授業はなかったと。
 

少し遡り 支那事変で隣の家のお兄さんが戦死
それは大騒ぎになったので印象に残っている。
 
この村でも170人位は戦死していると。



実は戦後50年の時に村で多くの体験談を集め冊子になっていた。
 

「ここに記録されている人も
 元気なのはもう4、5人だよ、、、
 
 でも当時聞いておいて こうして残せて良かったよ〜」
と高橋さん。


「今の若者にはもっと国のこと
 憲法だってなんだて勉強してほしい」とも。

戦後 上京したという高橋さん。
自分たち学生の頃は貧しかったから
アルバイトをしながらも一生懸命学んだ。

「にこよん なんて言って
日当240円の時代」

今 日本武道館のある所は学生会館?
学生にアルバイトを斡旋する場所だった。

しかし父が亡くなり 長男として家を守らなくてはいけない
という責任感から帰郷。
その後 村長まで務められた。
 

そんな栄村 生まれ育ちのお二人に
一番のオススメのスポットを聞いてみると
山の上にある 「野々見池」 とのこと。
  
これも田に水を引くために
先人達の手で苦労して作られたものだと。

一度足を運んでみたいと思います。
 

お話ありがとうございました!!
 
お元気で。
 


愛と平和を歌う 清水まなぶ
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Posted by manaboom at 12:40地域聞き取り