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2015年11月04日

ズッコケタ兵隊さん

今回戦争体験をお話下さったのは
大町市出身の羽田野さん93歳

えっ?
90歳を超えても
ジョッキを片手にビールを飲み干すw
びっくりするくらい お元気だ^^

ズッコケタ兵隊さん
趣味で英会話や社交ダンスなども楽しむ羽田野さん
しかし70年前は生と死の境目を生き抜いて来た一人。
 
20歳の時の徴兵検査では目が悪かったので
兵隊には適さない第三乙種。
教官には「残念であります」
と言いながら内心はホッとしていたと。

そう思えたのも
「日本刀振り回したってアメリカには勝てっこないよ」
なんて言ってしまう先生もいたとか、、、
当時とすればとても勇気のいる発言だ。
また父の日頃の言葉などから、
ある程度 状況を客観的に見れていたとか。

大町の学校を卒業し東京の工業専門学校を出て
大阪にある日本油脂の会社に働きに行っていた。
そんな昭和19年(1944年)3月
召集令状「赤紙」が。
 
ガールフレンドにも別れを言いにいった。

当時家族のいた松本からの出征。
地域の人にお祝いしてもらい
近くのお宮へ連れて行かれ見送られた。
皆あいさつでは「立派に戦死してまいります!」という中
自分は戦死してくるとは言えなかった。
お国のためとはわかっていても死んでたまるかと思っていたと。 

名古屋に行き野砲兵 第三連隊 入隊
そして中国へわたる。

ズッコケタ兵隊さん
行軍中は何度も危険な目に。
極度の疲れから歩きながらも寝てしまう。
気付けば周りに誰もいない夜真っ暗な中
これは困ったというときに、
稲光があり その明かりで遠くの部隊の位置がわかり慌てて合流。
「あれはおっかなかった~」と。
 
そして励まし合い体調の悪い戦友も抱えながら進む
しかし仲間の銃も持っていると重く膝が痛くなった。
いよいよ八路軍や新四軍
どっちが出てくるかもわからない前線へ入るという時
 
「調子の悪い者はいないか?」との上官の声に、
殴られる覚悟で「歩けそうもありません」と申し出る。
これも当時とすれば勇気のある行動だ。

「貴様ーー それでも日本の兵隊かーー!!」
という時代、案の定ビンタをもらったが病院へ。

もう慣れっこでビンタなんか平気になっていた、
ただ前線には行きたくなかったのでホッとする。

病院とはいっても土間に藁がひいてあるくらいで
看護師がいるわけでもなく、腫れがひくまでのひと時の休息
野菜を盗んだりして食料としていた。

しかし現地でも略奪は禁止。
憲兵に見つかり追放に。
そこから部隊合流のため単独行動がはじまる。
 
偶然に出逢った下士官に敬礼をすると
職場で一緒だった友人だったことも。
あれは驚いた。

南京に入った時に現地で南京事件のことは噂にならなかったが
自分たちのやってきたことを思えば
人数は別にして虐殺はあったんではないか?と思うと。

スパイを捕まえて銃剣で刺してこいという命令もあった。
自分は行かなかったが、指名されて行った戦友もいる。
 
また治安の定まってない前線では討伐ということをする。
討伐といっても集落に入っての略奪、家を焼いたり殺したり。
なんとかその指名は避けたかった。

そこでもまた一か八かの行動に出る。
当時は赤痢が流行
田んぼの水は飲むな!と言われていた。

しかし水筒は空っぽ
喉は乾く、そして赤痢になれば指名もされないかも?
しかし命が助かるかもわからない。
そんな中 目を盗み田んぼの水を口にする。
とたんに激しい腹痛や下痢で歩けない。
馬に乗せられるが落馬。

軍医のところへいけとの命令でまた病院へ。
なんとか体調も戻りかけたところで終戦。

ラジオでは何を言っているかわからなかったが
終戦と聞いて嬉しかった〜。
でも喜べないから悲しそうな顔を無理につくった。
そこにいた兵士は皆そんな気持ちだったと思う。

上海の近く鎮江(チンコウ)というところで捕虜となる。
その後 昭和21年2月帰国 鹿児島港へ。

ズッコケタ兵隊さん
故郷を離れ2年 壮絶な体験だ。
弟も海軍へ行っていたが無事帰郷
ただ父は亡くなっていた。

家に帰ったらガールフレンドから手紙が来ていた。
そこに行っていればまた違った人生だったかもしれないとw
 
ラーメン10銭の時代
兵隊の給料は1円くらいだったかな~
いまでは信じられないでしょうけど。
 
今の若者世代にも一言いただきました。
「仕事なり勉強なり一生懸命やれっ」と。

平和な時代に生まれた自分たち、
勉強も仕事も自由に選べて
好きなだけ出来るって恵まれているよな。
ほんと一生懸命やらなければもったいない。


今までは体験をあまり語ったことはなかったそうだ。
辛かったりズッコケタ兵隊の話はしたくなかったと。

一時間以上 休む間もなくお話を聞かせてくれました。
ありがとうございます。
でも耳も遠くないけどどうしてですか?

耳をひっぱったり毎日運動をしているそうだ。
「耳が遠くなると楽しみな英会話が出来なくなりますから、、」と。

これからもお元気で。


愛と平和を歌う シンガーソングライター
清水まなぶ→ http://manaboom.net

回想プロジェクト
https://www.facebook.com/kaisou1945





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