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2015年05月27日

白馬村

長野県北西部 富山県と隣接する北安曇郡 白馬村
北アルプスの麓 外国人にも人気の 約9100人が暮らす村
 
冬はスキー、夏は登山や避暑地としても有名ですが、
この季節は山の残雪と緑 青空のコントラストが美しい〜^^
 
そんな白馬村でお話を聞かせてくださったのは
大正15年生まれ 内川さん88歳。

 
聞いていた住所付近 畑仕事をする女性に
「内川さんを訪ねてきたのですがこの辺りですか?」
と道を訪ねたところ

「この辺はみんな内川ですよ〜」
と返ってきた(笑)
何十軒も内川さん この地区は内川姓が多いようですw
 

そんな中フルネームで伝えると
丁寧に案内いただきご自宅へ伺いました。


「よろしくお願いします。」

白馬村
「さぁ上がって上がって」と通していただくと
すでに3つほど印象に残っていることを書いて下さっていた。
 
1、小学校5年 担任の先生が召集令状を受けた
  その時の教室での先生の言葉
 「みんなと別れて戦争にいくことになった」
  に教室中が泣き声に変わったこと。

  そして みんな駅まで送ったこと。
  その時の握手や言葉は今でも覚えている。
 

2、幼い頃から泊まりにきたり遊んでいた同級生
  親友が昭和17年 中学4年で予科練へ
  最後は特攻隊員として沖縄で戦死したこと。
  今でも毎年白馬にあるお墓にはお参りに行っていること。

3、そして自身も一人っ子だけれど故郷を離れ士官学校へ行った事。
  
旧大町中学校(大町高校)卒業後 昭和20年2月
埼玉の陸軍予科士官学校へ入学。

自分は当時 教員になりたかったのだけれど
先生に勧められ士官学校へ。
入るのが難しかった海軍兵学校へも同学年から2人行った。
 
当時のことで強烈に覚えている事は東京大空襲
東京の空が真っ赤だった。

それまで勝つ勝つと言われていたが
その時 これは負けるんじゃないか?と
防空壕の中で涙が出たと。

8月の終戦 無力感。

マッカーサーが来て殺されると思ったし
どうやって白馬まで帰るのか?
そんな心配もしたが無事に9月には帰る事が出来た。


池袋から新宿 そして松本 白馬へ
そのときの東京の光景も忘れられない。
空襲の跡 コンクリートの小さな建物がポツンポツンとあるだけで
何もない焼け野原だった。
 
列車は人で溢れ 松本まで座る事も出来ず満員
大糸線に乗り換え白馬に着いたときはもう夜
暗い中 とぼとぼ家に向かうが
負けて帰る姿は惨めだから暗くてよかったとも。
 
そして家に着き親の顔を見たときは
言葉は何も出ず、ただただボーっと立ち 涙があふれた。

「あれせぇ 親が囲炉裏のところまで迎え入れてくれたけど
 何を話したか覚えてないだ」

今思えば戦争が終わってよかった〜
もう少し続けば自分たちも、、、と。
 

その後は地元で 代用教員からはじまり美麻や小谷の
学校の校長先生まで務められたとのこと。
 
子ども達は昔と変わらず元気だけど
あまり外で遊ばなくなった感じはするな〜

「戦争があった事を忘れずに
 二度とそんなことをするな」
そう言いたい。

そんなメッセージいただきました。

そして近所の名所 架け替えて3代目のようですが
吊り橋も案内いただきました^^
美しい風景 後世まで受け継がれますように。

白馬村
ありがとうございました
お元気で。



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