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2015年05月10日

松本市 波田


「とうちゃん 熱いよ〜」
「たすけて〜」

空襲で焼ける町
ものの下敷きになっている人や叫び声が響いていた。

その場面では声を震わせながら
70年前の記憶を語って下さったのは
松本市の細田さん。
 
高等小学校の時まで東京新宿で過ごしていた細田さん
余丁町小学校6年生のとき大東亜戦争突入
 

例えば体育の時間の棒倒しも激しい殴り合い。
歯が折れようが、向かっていく者は将校から勇ましくて良いと褒められる。
 
そんな中 自ら兵隊志願にも行った。
しかしまだ小学生 体格満たなく残念ながら帰されたと。
でも今思えばよかった。

  
戦争末期は 東京の空襲も激しくなり
何度も空中戦や空爆も目にしている。

外に干してある洗濯物がなくなるくらいの機銃掃射
笑いながらパイロットが弾を撃っていく表情もハッキリ覚えている
その姿は当時 赤鬼といっていたが ホント憎らしかった。
 
日本軍はもうほとんど武器もなく
B29を探照灯で照らすだけで精一杯。

毎晩空襲におびえ防空頭巾を用意し ゲートルを巻いて寝ていた。
 
 
何万発の焼夷弾が燃えながら落ちてくると
それは変な言い方だけど 遠くから見れば綺麗
しかしその下は地獄。

町が火の海
「熱いよ~ 助けて~」と子ども達の声
 
「退避ーー退避ーー」 班長や大人の声が響く。

そして焼け残ったのは土蔵だけ。

 
そんな中 父の実家が梓川だったので
母、妹や弟は疎開にきていた。
 
自分だけは東京の工場に通ったが
空襲が激しくなった昭和20年には同じく信州へ。

そして終戦
みんな泣いたり、ため息をついたり
当時16歳
 

食べ物は砂糖やピーナッツが配給されたが
カロリー計算なので 一食何粒しかなかった、、
貧しかった。

戦後は生活のために行商もし ゴムひも売ったり
織物、セーターなど担いで歩いた。
しかし一斉取り締まりで没収もあったり、、、、

 
「今は平和でよかったな~
 この辺りは のどかでいいよ~
 近くには堤、桜の名所や美味しいお蕎麦屋さんも有名だよ
 都会からもどんどんくるよ」
「さぁ ふきのとう 食べて」
と地元のおすすめスポットも教えて下さったりお茶もいただきました。
 
松本市 波田
今年も田に水がはられ田植えがはじまる。
スイカでも有名な波田
今の家で暮らし40年ほど。


最後に今でも 教育勅語 を暗記していると、
聞かせて解説して下さいました。

戦争のことはいけないけど
当時の教え 友や親、兄弟を大切にする
困っている人をたすけるなど
良い教えもいっぱいあった。
「今の世の中、若い人が自由や民主主義をはき違えているような気がする
 最近の事件やニュースを見ていてそう思う」とも。

努力して平和を守ってくれ
戦争はやらないほうがいい
あんな苦労はさせたくない
そんな思いを語って下さいました! 
 
これからもお元気で。
ありがとうございました。

松本市 波田

愛と平和を歌う 長野出身
シンガーソングライター 清水まなぶ
http://manaboom.net







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