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2015年04月28日

池田町

「てるてる坊主てる坊主〜 ♪」
 
実はこの歌の作詞 浅原六朗 氏が出身ということで
「てるてる坊主の里」としても親しまれているのは
人口約10000人 安曇野の北部 北安曇郡の池田町。
 
あずみ野 池田クラフトパーク で70年前の記憶 お聞きしてきました。
 
「明日は自由主義者が一人 この世から去って行きます」
出撃前夜に書かれた所感や 「きけわだつみのこえ」でも有名な
上原良司さん ご存知ですか?
 
昭和20年5月11日午前9時頃
沖縄本島西北方面海域にて敵艦隊に体当たり
 
「出撃の朝の楽しき一服は
 わがたらちねの賜りしものなり」
 
母からもらった煙草の最後の一本を吸い
その空き箱の裏にこの歌を残し散っていった
上原良司 22歳
 
彼も池田町生まれ
ここに彼の資料を集めたり記念館を作り
上原良司のメッセージを発信したいと活動されていたのが
今回話を伺った元町長 師岡昭二さんでした^^
これもビックリなご縁です。

池田町
そんな池田町出身の師岡さんは当時19歳で志願
上原さんの3つ下で
やはり当時は飛行機に乗って戦闘が出来る事が憧れだったと。
 
陸軍特別幹部候補生という制度が出来て
中学校の3年以上20歳までの方を志願兵として採用し
飛行機の操縦をさせるという国策だったとか。
 
「みな3ヶ月の教育を受けて飛び立っていった。
 
 自分も第十練習飛行隊で訓練を受けていたが
 たまたま もう飛行機がなかったから助かった」と、、、
 
 
上原さん 最後のメモノートには、
「悠久の大義に生きるとか、そんなことはどうでもよい
 あくまでも日本を愛する
 祖国のために独立自由のために闘うのだ
 日本の自由のために、独立のために死を捧げるのだ
 天国における再会、死はその道程に過ぎない
 愛する日本、そして愛する冾子ちゃん」
軍国主義の中でも本来の自分自身の生き様を見失う事なく生き抜いた上原良司

平和な日本に生きてきた自分たちに
自由のない時代を生きた彼らからのメッセージは何?
  
師岡さんは
「だけんども 俺たちも軍に入って日記書いても
 検閲があって消されてしまう時代に
 全体主義で戦争に勝つ事は出来ないということや
 軍隊の中でも自由主義を貫いた良司
 その想いを語り伝えていきたいと」と語ってくれました。

また伺います。
 
二度とこんな事が繰り返されないよう
しっかり伝えていきたいですね。

いつまでも平和な歌がこの里に流れますように〜
 
ありがとうございました!
 
池田町

愛と平和を歌う 清水まなぶ
https://www.facebook.com/kaisou1945





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